稲庭うどんの発祥・由来③
今日は、稲庭うどんの発祥・由来についてご紹介する第3回目です。
これまでの記事をご覧いただいていない方は是非こちらからどうぞ!
長い伝統を誇る稲庭うどんは、稲庭地区小沢に住んでいた佐藤市兵衛が地元産の小麦粉を使って干しうどんを作ったのが始まりとされ、その製法は1665年(寛文5年)には確立されていたといわれています。
遠い昔、大陸から伝わったうどん作りの文化は西日本に定着していました。
それが、何故、遠い北国の稲庭にうどん作りの製法が伝わったのか。。。
定かではありませんが、私が知るところ3つの説があります。
今日は、3つ目の説をご紹介。
『秋田と仙台を結ぶ街道筋にあたる白石温麺の技術が伝わった』説
白石温麺の製法も約400年ほど前にさかのぼるようです。
「病床にあるお父さんを心配した息子が、旅の僧から聞いた油を使わない麺の製法を教わり、お父さんに作って差し上げたところ快方に向かい、やがて全快した」
心温まるエピソードが起源となっている白石温麺。
いたわりや思いやりの気持ち、そして家族の絆が稲庭の原点だったら嬉しいです。
そして、油を使わない製法は、確かに稲庭うどんと同じ、、、似ている・・・・。
以上が3つ目の説です。
明日は、【まとめ編】をお伝えします。
是非、ご覧ください。